昭和40年前半の只見線「越後須原駅前通り」
この駅舎は昭和17年に建てられ
51年12月に改築されたそうです
ってことは、我ら同級生が卒業した冬ということですね
ってことは、その年末に帰省したときに
たまげたということですか…
それより何より小生産まれてコノカタ
須原駅に降り立ったのは生涯一度だけ
2009年7月 4日 (土) | 固定リンク | コメント (0)
ざっくり言えば
広瀬村と藪神村が合併して
広神村が誕生したのですね
昭和30年3月に
それよりも十数年後…
藪神中学校校舎焼失により
中学校も統合され「広神中学校」が発足したとのこと
高校時代、広神の人達と知り合いになり
はじめて知った「藪神VS広瀬」のビミョーな空気
町村合併、会社合併…やはり難しいもんでしょうね
一枚目は旧藪神中学校
二枚目は旧広瀬中学校
2009年6月27日 (土) | 固定リンク | コメント (2)
何気ないスナップですが
一枚目の中央でなわとびを回しているのが
かのM川酒造の社長
二枚目のカメラ目線の坊やが弥三郎和尚さま
こういうことがあるから「やめられまへんなぁ」
小出小学校はS53年3月の卒業式後に
移転新築した今の校舎に移りました
2009年6月21日 (日) | 固定リンク | コメント (3)
堀之内小学校で中学生が
何かの大会の開会式を行っている写真です
昭和39年と言えば筆者が入学した年
そして新潟大震災があった年でもありますね
この校舎もS45年に根小屋小、田戸小との統合を機に
今の鉄筋コンクリートの小学校に産まれ変わりました
小学校も中学校もさらに高校も新校舎には入れなかった…
2009年6月20日 (土) | 固定リンク | コメント (0)
以前に一度書いた「新潟博覧会」
昭和42年7月8日に常陸宮殿下ご夫妻を
お招きして開幕した…とあります
写真は父が修学旅行で行った時のものと思われます
どこの学校か記載がないのでわかりませんが
小学校高学年でしょうね…雰囲気からして
2009年5月 3日 (日) | 固定リンク | コメント (3)
友人から提供して頂いた
昭和46年「只見線全線開通」式典の様子です
只見線の歴史を紐解けば
http://ja.wikipedia.org/wiki/只見線
豪雪期唯一の交通手段だとか
「紅葉の美しい鉄道路線ベストテン」の第一位だとか
「雪景色のきれいなローカル線ベストテン」の第三位だとか
なかなか評価の高い郷土のローカル線です
しかし自分的には「未来に残したい昭和のローカル線」
栄えある第一位でしょうか
一枚目の中央におわすはかの「田中角栄」先生ですね
2009年4月26日 (日) | 固定リンク | コメント (2)
昭和48年2月
堀之内駅前の「酒の泉屋さん」前でのショット
堀之内にいた頃の母は
「社交的」というか「活動的」というか
「活発」というか「積極的」な女性でした…と思います
看護婦さんという仕事柄、町で知らない人は「いない!」
くらい有名人でした…たぶん
その広い交友関係の中でも
「泉屋」さんは大の仲良しだったようです
「長者盛」「越の誉」の看板は今でもあるのでしょうか
2009年4月 4日 (土) | 固定リンク | コメント (0)
季節外れですみません
「稲刈り」後の「はざかけ」ですね
当時は田っぽの至る所に
何の木なんでしょうか…
細めの木が植わっていて
刈り取った稲を天日干ししていましたね
機械化が進んだ現在は
こういう秋の風景は見られないのでせうか
それにしてもこの「ほっかむりの父ちゃん」の勇姿も
今じゃレッドブックに載る絶滅危惧種なのでしょうか…
2009年3月28日 (土) | 固定リンク | コメント (4)
北魚沼堀之内から上京したのが昭和51年
当初は大学の寮に寄宿しておりましたが
昭和53年から55年までは東京都下新小金井
写真の木造アパート?下宿?に
友人と共同生活的に寝起きしておりました
一階は親子4名さまがお住みになっており
二階は勝手付きトイレ共同四畳半二間電話も共同
家賃は一万四千円?くらいだったと思います
このブログの読者で訪ねて来た方も…いるかな?
2009年3月20日 (金) | 固定リンク | コメント (4)
今年は雪が少なく田植えも
早めに始まるのでしょうか?
昭和40年代の田っぽの春の様子です
まずは「肥引き」
雪の上を橇を引きながら堆肥を運びます
「撒土消雪」
そりで土を運んで雪消しに役立てます
すべて手作業の重労働ですね
「しろかき」
雪が消えるといよいよ田植えの準備です
昭和40年代はまだまだ家畜が主戦力です
そして「田植え」
当時は6月中旬まで行っていたようです
弥三郎くん大活躍です
2009年3月16日 (月) | 固定リンク | コメント (2)
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